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横浜地方裁判所 昭和54年(ワ)1809号 判決

原告

木村善三郎

右訴訟代理人

大類武雄

庄司道弘

右訴訟復代理人

黒木夫

被告

横浜市

右代表者市長

細郷道一

右訴訟代理人

末岡峰雄

被告

株式会社千代田組

右代表者

鈴木幸彦

右訴訟代理人

豊島昭夫

須賀正和

右訴訟復代理人

織裳修

主文

一  被告らは原告に対し、各自金一一〇万円及びこれに対する昭和五三年一一月八日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを六分し、その五を原告の、その余を被告らの負担とする。

四  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し、各自金六六〇万三、四七〇円及びこれに対する昭和五三年一一月八日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  被告株式会社千代田組(以下、被告千代田組という)は、横浜市立城郷小学校浄化槽設置工事(以下、本件工事という)として昭和五三年七月一日より同年同月六日までの間、バイブレーター(振動杭打機)及びクレーンを使用してスチールシートパイル(以下、シートパイルという)の打込工事を行い、同年八月九日より同年同月一一日までの間、バイブレーターなどを使用してシートパイルの引抜き工事を行なつた。

2  本件工事の振動により同工事現場の東方約一五メートルにある原告所有の別紙物件目録記載の建物(以下、本件建物という)の柱が随所において傾斜し、八畳間西側出窓部分の地袋の甲板が弓なりになり、台所の天井板が波を打つたようになり、一部の柱が目視しうる程度に沈下し、タイル張り浴槽が無数にひび割れするなどの損傷が生じ、また本件建物に家族とともに居住していた原告は、本件工事の振動、騒音などにより、多大の精神的苦痛を蒙つた。

3  被告千代田組は、本件工事を行なつた場合、工事内容、本件建物の位置関係などからして、原告が前記被害を受けることを予想しえたのであるから、その被害発生防止につき必要な措置(工事方法の変更など)をとるべきであつたにも拘らず、そのような措置をとらず、漫然と本件工事を行なつた点に過失がある。

4  被告横浜市(以下、被告市という)は、昭和五三年一月一三日付契約により、被告千代田組に本件工事を注文した者であるが、同工事当初より原告から工事による被害につき陳情を受けていたにも拘らず、工事の注文者として被告千代田組に何ら工事方法の改善などにつき適切な指示をすることもなく漫然と同工事を続行させた点に過失がある。

5  本件工事により原告は、次の損害を受けた。

(一) 金三七〇万一、七五〇円本件建物の修復に要する費用

(二) 金二〇〇万円

本件工事による騒音、振動、本件建物被害による転居などにより原告は、著しい精神的苦痛を受けたが、右はその慰藉料である。

(三) 金三〇万一、〇〇〇円

転居先のアパート賃料(昭和五四年二月分より同年七月分まで)

(四) 金六〇万円

弁護士費用

6  よつて、原告は、被告らに対し、民法七〇九条、七一六条但書に基づき、前記損害合計金六六〇万三、四七〇円及びこれに対する不法行為の後である昭和五三年一一月八日から支払いずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払いを請求する。

二  請求の原因に対する認否

1  その1は、工事期間を除いて、認める。シートパイルの打込工事は、昭和五三年六月三〇日より同年七月四日まで、引抜工事は、同年八月一〇日、一一日の両日行つた。

2  その2のうち、原告が本件建物を所有し、本件工事当時、その家族とともに同建物に居住していたこと、同建物と本件工事現場との位置関係は認めるが、その余は否認する。

3  その3は否認する。

4  その4のうち、被告市が本件工事の注文者であることは認めるが、その余は否認する。

5  その5は否認する。

三  抗 弁

原告と被告らは昭和五三年一〇月一四日、本件工事による原告の被害につき、被告千代田組において本件建物の補修工事を行い、原告は被告らに対し、何ら金銭的請求は行なわない旨の和解契約を締結した(なお、被告千代田組は同年同月二〇日から本件建物の補修工事を行なつたが、原告は同年一一月三日、右工事の続行を拒否し、同工事の続行は不可能となつた)。

四  抗弁に対する認否

否認する。原告は被告らと本件建物の応急工事について合意したことはあるが、被告ら主張の如き趣旨、内容の和解契約は締結していない。

五  再抗弁

被告ら主張の和解契約において、原告は、被告千代田組がなすべき補修工事には、傾斜した柱の調整、土台の調整工事をも含んでいるものと思つていたが、現実には、それは含まれていなかつたから、原告のなした意思表示には、その重要な部分に錯誤がある。

六  再抗弁に対する認否

否認する。

七  再々抗弁

本件和解契約に先立ち、当事者間で何度も綿密な協議がなされているから、原告に錯誤があつたとすれば、それは自らの重大な過失によるものである。

八  再々抗弁に対する認否

否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求の原因1は、シートパイルの打込、引抜工事期間を除いては、当事者間に争いがなく、原告主張の工事期間に副う甲第一〇号証の一(その成立は原告本人尋問の結果により真正なものと認められる)、同本人尋問の結果は次記証拠に照らすと採用できず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はなく、かえつて成立に争いのない乙第二号証及び証人南條俊彦の証言によると同打込工事は昭和五三年六月三〇日、同年七月三、四日の三日間、同引抜工事は同年八月一〇、一一日の両日にそれぞれ行なわれたことが認められる。

二請求原因2のうち、原告が本件工事現場の東方約一五メートルのところに本件建物を所有し、同所で家族とともに居住していることは当事者間に争いがなく、前掲甲第一〇号証の一、乙第二号証、被写体については当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると

1  本件工事は横浜市立城郷小学校敷地内に幅約四・五メートル、長さ約一四・五メートル、深さ約四メートルの浄化槽を設置するためのものであるが、シートパイル打込工事開始に先立ち、昭和五三年六月二九日、被告千代田組社員によるあいさつ廻りが行われ、翌三〇日、打込工事が開始された。

2  工事開始時、原告は自宅(本件建物)に居合わせたが、工事による騒音は相当大きく、振動は騒音以上に激しく、神棚のものが落ちたり、自宅前方の生垣が波を打つように揺れ、畳の上に坐つていると尻が浮き上るように揺れるので、原告はたまりかねて城郷小学校長(中村浅吉)に来て貰つたところ、同校長も「これは大変だ」と言つて帰つたが、工事は中断されないので、原告は被告千代田組の現場監督南條俊彦(以下、南條という)に苦情を申入れ、同人にも実情を見て貰つた。

3  しかしその後も、前記認定のように同年七月三日、四日の両日、打込工事がなされ、その間、右同様の騒音と振動が続き、更に同年八月一〇日、一一日の両日、シートパイル引抜工事が行われたが、引抜工事による騒音と振動は打込工事期間中の騒音、振動を若干上廻るものであつた。

4  本件建物は昭和三五年に西側八畳部分が改築、昭和四五年に台所、浴室部分が増改築、昭和四八年に玄関などが増改築されており(もともとの建築時期は不明)、昭和五三年当時、床下土台部分、柱、敷居、鴨居、襖などの建具類は可成り老朽化しており、本件工事前、すでに床下の柱土台部分に腐朽、随所の柱に多少の干割れ、傾斜などが生じていたが、本件工事(合計五日間)の振動により、柱の傾斜はやや強まり、建物全体が玄関に向つて左側(西北方向)にやや傾き、浴室内の床タイルにも、もともとの工事が杜撰なこともあつたが、右振動で微細な亀裂を生じ、八畳南側雨戸の戸袋裏の壁にも長さ約六〇センチメートルの亀裂が生じ、襖などの道具の開閉は一層困難となつた。

5  原告は同年八月一〇日、引抜工事が開始された直後ころから、被告市に工事の中止を申し入れ、同市建築局学校工事係長小島賢治(以下、小島という)と本件工事に関する騒音、振動、それによる本件建物の損傷等につき話し合いを行なつたが、引抜工事は同日及び翌一一日の両日行われ、その後も原告は、主として小島及び被告千代田組の現場監督南條と一〇数回にわたり電話もしくは直接面談のうえ、本件建物の損傷及びその補修工事につき話し合いを繰り返し(この話し合いは原告自らによつてなされ、弁護士などの介入はなかつた)、その結果、昭和五三年一〇月一四日、原告、被告ら三者間に柱の一部取り替えを含む本件建物全般に及び補修工事を被告千代田組が行なう(但しその費用は被告市と被告千代田組が折半負担)旨の合意が成立し、同月二一日以降、同年一一月三日、工事内容に不満を抱いた原告が工事続行を拒否するまで、右補修工事が行なわれた。

6  原告は日本鋼管京浜製鉄所を五五歳で定年退職後、三、四の会社に勤務したが、昭和五三年以降は無職であり、本件建物に妻フサ江、二女佐都子と同居していたが、前記補修工事開始に先立ち、昭和五三年一〇月一七日、右家族とともに近くのアパートに引越し、昭和五四年七月まで同アパートで暮した

ことがそれぞれ認められ、〈証拠判断略〉(但し原告本人尋問の結果中、本件工事の振動で、八畳西側出窓部分の地袋板が湾曲し、柱の亀裂が増大した、と述べる部分は〈証拠〉に照らすと採用できず、ほかに右事実及びその余の損傷を認めるに足りる証拠はない)。

三被告千代田組は、本件シートパイルの打込及び引抜工事を行えば、その工事内容(〈証拠〉によると、本件工事は幅約四五センチメートル、長さ約七メートルのシートパイル百数十本の打込、引抜を含むものであり、右打込、引抜にはM2―一〇〇〇Eという振動式杭打機(重量一、九八二キログラム、起動力一三・五トン)が用いられたことが認められる)及び前記本件工事現場と本件建物の位置関係(わずか一五メートルしか離れていない)からして当然、工事には騒音、振動が発生し(〈証拠〉によると、本件工事については騒音規制法及び振動規制法に基づき事前の届出が義務づけられていたが、その届出はなされていないことが認められる)、これにより本件建物に損傷が発生し、かつ居住者に相当の精神的苦痛を生ずべきことは十分認識できたにも拘らず、その防止に何等意を用いず、本件工事を遂行したことは前記認定のとおりである(もしくは前記認定事実から容易に推認される)から、その点につき過失があつたといわざるをえない。

四請求原因4のうち被告市が本件工事の注文者であることは当事者間に争いがなく、被告市が本件工事の当初から小学校長、被告千代田組を通じ、本件工事の途中(昭和五三年八月一〇日)からは直接、原告より本件工事についての苦情、工事中止の申入れを受けていたにも拘らず、被告千代田組に対し、何らの措置(改善措置、中止命令)をとらなかつたことは前記認定のとおりである(もしくは前記認定事実から容易に推認される)から、被告市にもその点に関し、過失があるというべきである。

五そこで、抗弁につき判断するに、昭和五三年一〇月一四日、原告、被告ら三者間に、本件建物全般に及ぶ補修工事を被告千代田組が行う旨の合意が成立したことは前記認定のとおりであるが、右合意に際し、原告は被告らに対し、本件工事に関し、将来何らの金銭的請求はなさない、すなわち本件工事による本件建物の損傷に伴う物的損害については勿論、本件工事の騒音、振動などによる精神的損害についてもその賠償を請求しない、もしそのような精神的損害賠償(慰藉料)請求権が存してもそれは放棄することまでを約した(もしくはそのような意思表示をなした)ことまでを認めるに足りる証拠はなく、かえつて前記甲第四号証の三(復旧工事仕様書)によると、昭和五三年一〇月一四日の合意内容を記載した書面と認められる右仕様書には、八畳出窓側柱二本取替を含む八項目の補修工事内容が詳細に明記され、更にその第九項には、本補修工事は原則として原状回復及び機能回復によるものとして実施するもの、と記載されているが、その余(前記慰藉料請求権)についても何らの記載もなされていないことが認められ、また前記認定のように、原告の被告市に対する苦情申入れから右合意成立までの期間は比較的短く、交渉は原告自らによってなされ、弁護士などの介入はないことなどに照らすと、前記合意は一種の和解契約として、一方では本件工事の振動による本件建物の損傷につき、金銭的賠償(民法七二二条、四一七条)にかわるいわゆる現物給付として補修工事をなすことを被告らが約し、他方、原告は本件建物の損傷による財産的損害(アパートへの転居による損害を含む)については右現物給付により一切解決したものとして将来何らの請求もしないことを約したものであつて、精神的損害賠償すなわち慰藉料については何らの合意、意思表示もなされていないとみるのが相当である。

六原告の再抗弁を認めるに足りる証拠はなく、かえつて前掲〈証拠〉によると、前記認定のように昭和五三年八月一〇日の工事中止申入れ以降、同年一〇月一四日までの間、一〇数回にわたつて原告と被告ら間に本件建物の損傷及びその補修工事につき話し合いがなされたが、右話し合いにおいては、原告側から柱の傾斜を含む一〇数項目の損傷を記載した書面(甲第五、第六号証)の提示もなされ、右損傷と本件工事の振動との因果関係に疑問を抱いていた被告らによる実地検分、調査がなされた後に、昭和五三年一〇月一四日、前記のような柱二本の取替を含む本件建物全般に及ぶ補修工事についての合意が成立したこと、右合意成立に際して被告ら担当者は原告に対し補修工事の内容を洩れなく詳細に説明しており、原告もそれを了解したうえで双方合意に達したことがそれぞれうかがえる。

従つて原告の再抗弁は失当であり、採用することができない。

七そうすると原告は被告らに対し、本件工事の騒音、振動による精神的苦痛に伴う慰藉料及びその支払請求のための弁護士費用だけの支払を請求できることになるが、前記認定の本件工事がなされた日数、その騒音、振動の程度、原告の年齢、その家族構成その他一切の事情を考慮すると、右慰藉料の額は金一〇〇万円とみるのが相当であり、また弁護士費用としては、右慰藉料の一割(一〇万円)の限度で本件の事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

八以上の次第であるから、原告の請求は、右慰藉料一〇〇万円、弁護士費用一〇万円(合計一一〇万円)及びこれに対する不法行為の後である昭和五三年一一月八日より支払いずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、これを認容することとし、その余は失当として、棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官上杉晴一郎 裁判官田中 優 裁判官中村 哲)

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